『皆がやってるから』『皆が言ってるから』という理由で受け入れる人は多い。
毎年新しいダイエット法やトレーニング、フィットネス商品が流行ることからもそれはよくわかりますね。
はたから見ていると『狂気』に近いですが、その『空気』の中にいる人は気づきません。
流行りのファッションなんて10年後に見たら狂気としか言えませんw
今日はタイムリーな話題と、名著を引用してこの『空気』について考えてみました。
この事例は空気に支配されてしまった、典型的な例なのでまとめておきたい!
おかしなことをする人々【空気の研究】
豊洲移転問題
昨日からオープンした豊洲市場。なんと当初の予定から、約2年の遅れである。
皆さんはなぜ豊洲への移転が遅れたか覚えてますか?
有害な物質が市場から検出されたから?
違います。
検出されたのは人が常時立ち入らない地下からで、当初から地上の市場は安全でした(だからこうしてオープンしたわけです)
ではあの騒動は何だったのか?
なぜ遅れたのか?
それは…
『何となく怖いという空気』のせいです。
豊洲移転間近に突如として起こったこの土壌汚染問題は、マスコミも騒ぎ立て瞬く間に「豊洲は危ない」という空気を日本全土に醸成しました。
しかし冷静に考えれば、東京都の土壌はどこもそれなりに汚染されています。
普通にマンションが建って人が生活しているところだってある程度は汚染されている。
豊洲は汚染が地下で、想定できる範囲の有害物質が出ただけでした。
あの地下の水をガブガブ飲んで、あの地下で生活する人がいない限り全く問題ない範囲だったのです。
もう一度書きますが、地上の市場は安全だった。
これはトンネルの中は排気ガスが多いから、危険だ!トンネルを禁止しろ!と言ってるようなもの。
知っての通りトンネルの中の大気を四六時中吸って、トンネルの中で生活してるような人はいません。
そもそも築地の地下も土壌汚染されているし、ネズミが列をなして走り回るなど衛生面は新しい豊洲よりはるかに問題がありました。
しかし、そこで売っている魚をついこの前まで平気で食べていました。
まさにダブルスタンダードです。
築地の老朽化に伴う移転という当初の理由はないがしろにされ何となく怖いから豊洲の移転を止めるという、バカげた状態が続きました。
小池都知事はなかなか豊洲移転を決断できなかった。
日本全体が空気に支配され、小池知事本人もその空気に飲まれてしまっていた。
一度醸成されてしまった空気の恐ろしいところは、合理性などは一切通用しないところ。
「おばけが怖い」という子供に「おばけなんていないよ」といくら説明しても通用しないのと同じです。
「豊洲の地下水から環境基準を超える物質が検出されたが、安全性に問題はない」という専門家会議の報告は無視され続けた(環境基準と安全基準は異なり、環境基準はかなり厳しい。地下水をそのまま飲めるレベルに設定してある。)
最初から豊洲移転を白紙に戻すなんて結論はあり得なかったのです。
移転先の選考段階ならまだわかりますが、もう豊洲はほぼ完成していました。
早く移転させなければムダにどんどん費用がかかる状況。
あとは小池知事の政治決断待ち。
そしてたっぷり時間をかけて、いよいよ小池知事が出した答えは
「豊洲に移転させるが、築地も残す!築地は食のテーマパークにする!」
というもはや意味不明な結論。
豊洲に移転するなら築地を残す必要はないでしょ。
東京都はこの2年で時間も費用もムダにした上、築地を売却せず残してさらに費用をかける結果になりました。
スムーズに移転しておけば不必要だった費用です。
豊洲が根付いた数年後にはこう思うでしょう
「なんであんなにバカ騒ぎしてたんだろう…」
「何となく怖い」という空気に払った費用は、1年前の時点で95億円です。
すべて空気のせいです。
食のテーマパークが負の遺産にならなければいいですが…。
このように空気は論理的、合理的な判断を狂わせ主体性を奪い取るのです。
空気に惑わされた過去
筋トレやダイエットに関して、僕はかなり空気に振り回されました。
体幹トレーニングブーム、インナーマッスル、食べ順ダイエット、自重のみでマッチョ… 一通り手を出しましたが、体はたいして変わりませんでした。
空気の外にいる人は狂気に感じるでしょうが、その時はそれが正しいと思っていました。
お恥ずかしい話、流行ってるんだから間違いないと思ってました…。
空気から抜けた今思うのは「何であんなムダなことしてたんだろう…」
空気の研究
何も今回に限ったことではありません。
日本人は空気の中で生き、空気に自分の判断を委ねてきました。
山本七平の名著『空気の研究』 に記されたカドミウムの公害問題は、まさに今回の豊洲問題のよう。
『空気の研究』では日本におけるこの空気の支配力を論理的に解説しています。
今後、我が国で起こるブームだったり、社会問題だったりを『空気の研究』的な視点でみると思考を支配されず客観的に対象を捉えることができ、おもしろいかも知れません。
今回は豊洲問題を例に出しましたが、頻繁にこういう空気の醸成は起こってます。
身近な人間関係の間でも常時発生します。
この著書が発売されたのが、1977年。
僕が生まれる前ですが、我々は何も成長していないのですね😇
それではまた次回、トモでした!